作者:下坂守 日期:2017-02-19 23:52:40
中世において比叡山延暦寺が果たした歴史的役割を、同寺の活動実態とその支配下にあった京?近江の民衆との関係を中心に考察する。
山門の嗷訴の検討から、山門の「惣寺」がどのような組織と機能をもつものであったかを明らかにしたうえで、足利義満以降の武家政権との関係や、近江坂本の在地人と日吉社の大津神人が山門の活動にどのような影響を与えたかを論じ、さらには、中世都市京都の変容についても、絵画史料を駆使して明らかにする。
「王法仏法相依論」に貫かれた中世寺院社会の具体像に光を当てる一書。
作者简介
しもさか?まもる…1948年生。大谷大学大学院文学研究科修士課程修了。日本中世専攻。博士(文学 立命館大学)。大津市史編纂室、京都国立博物館、文化庁美術学芸課、帝塚山大学人文学科、奈良大学史学科において勤務。京都国立博物館名誉館員。
目录:
序にかえて
第一篇 衆徒と閉籠
第一章 中世延暦寺の大衆と「閉籠」
―『元徳二年三月日吉社幷叡山行幸記』に見える大衆の動向―
『行幸記』の信憑性/『行幸記』に見える「閉籠」/「院々谷々」の大衆と閉籠/覆面姿の閉籠衆
第二章 「山訴」の実相とその歴史的意義
―延暦寺惣寺と幕府権力との関係を中心に―
堂舎閉龍から神輿動座へ/閉籠衆と「堂中」「対決」/日吉の祭礼と祇園会?北野祭/土一揆の蜂起と疫病の流行
第三章 中世寺院社会における身分―天台宗寺院の事例を中心に―
園城寺の僧/延暦寺の「上方」/延暦寺の「中方」と「下僧」
補 論 中世における「智証大師関係文書典籍」の伝来
―貞和二年六月の「大師御重書」の「感得」を中心に―
三巻の注進状?目録/文書目録の作成契機/目録の内容
第二篇 坂本の馬借
第一章 中世?坂本の都市構造―六箇条と三津浜の「在地」をめぐって―
応永元年の社頭掃除/坂本の「在地人」と「在地」/三津浜の六つの在地/上坂本の三か所の風呂屋/「近所ノ風呂」/在地の祭と講/上下坂本の鎮守社/六箇条の区域
第二章 堅田大責と坂本の馬借
延暦寺の堅田大責/延暦寺と坂本の馬借/山門衆徒と神輿振り/日吉社と「馬ノ衆」/神輿振りと馬借蜂起
第三章 坂本の馬借と土一揆―「王法仏法相依論」の呪縛からの解放―
康暦元年と応永二十五年の坂本馬借の嗷訴/応永三十三年の坂本馬借の嗷訴/坂本における馬借の存在形態/坂本の土一揆と馬借
第三篇 山門と日吉社
第一章 大津神人と日吉祭―祭礼の司祭と舗設―
日吉社の縁起と大津神人―船渡御と唐崎宿院―/「大津生得神人」と「京都の入神人」/「粟津の御供」の成立/「粟御供」の備進主体の変化
第二章 大津神人と山門衆徒
大津神人と日吉社―田中恒世と宇志丸の末裔―/大津神人の官への訴え/日吉社司と山門衆徒/大津神人と山門衆徒
第三章 衆徒の金融と神人の金融
「悪僧」の金融/「神人」の金融/乾元元年の神輿造替―「大津生得の神人」と「京都の入神人」/正和四年の神輿造替―「山門気風の土倉」
第四篇 中世都市?京都の変容
第一章 応仁の乱と京都
―室町幕府の役銭と山門の馬上役の変質をめぐって―
東軍の「御構」―幕府の限定された統治区域―/西軍の「下京」―「五条町前後八町」の状況を中心に―/馬上役徴収主体の変化―応永二年から文明二年まで―/乱中の馬上役の実態―文明三年から文明六年まで―
第二章 中世京都?東山の風景
―祇園社境内の景観とその変貌をめぐって―
路傍の石塔と堂舎/本殿と四条橋の「杓ふり」/四条橋西詰めの鳥居
第三章 中世「四条河原」考―描かれた「四てうのあおや」をめぐって―
「河原者宿所」の位置/「余部屋敷」の領域/描かれた「余部屋敷」/「四てうのあおや」の図像/紺屋と青屋
付篇 付論 『言継卿記』に見える法住寺
法住寺の「御はんせん」/後白河法皇の「絵像御影」/「御影」の行方
史料紹介 「岡本保望上賀茂神社興隆覚」
むすび
初出一覧
あとがき
索引(人名?事項)